人形教室の その先 2 |
2011/10/15(Sat)
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昨日のコラムの続きです。
お教室をやっていてもったいないと思うのは、せっかく材料も道具もそろえたのに人形が完成せずに来なくなってしまう方や、時間をかけてやっと1体完成させたのに、それで力尽きてやめてしまう人が少なからずいらっしゃることです。 あともう少しで完成なのに。もうひとつ作ったらもっと良いのができるのに。 「頑張るのは良いけれど、力入れすぎると続かないよ」といつも思います。 人と較べると落ち込むのは私だって同じです。 でも自分1人で作っているとモチベーションが上がらない。 その繰り返しはモノを作る者は皆経験しています。 職人さんで「この道一筋何10年」みたいなスペシャリストはいますけれど、技術だったら時間をかけて練習すれば効率も上がるし上手になれる。 でも、創作…アートはなかなかそういうわけにはいきません。 「私には才能が無いから」みたいに思って諦めないでください。 才能って何。 美大に行ってた時は天才ばかり見てきました。 才能があったって潰れていく作家を私は何人も見ている。 私に関して言えば、本当は画家になりたかったのです。 日本画が好きで2浪して美大に入って、周囲に負けたくないと頑張ったけれど結局やめてしまいました。 空っぽになった私の心を埋めてくれたものが人形で、本当に最初は趣味で始めました。 教室には10年以上通い、ただ作っていることが楽しかった日々がありました。 その頃は有名になりたいとか、売れっ子になりたいとかあまり思わなかったです。 (今だって忙しいだけで売れっ子でも有名でもありませんが^^;) 美大を出た同級生は教職をとって美術教師になった人が多かったけれど、私は教職過程を実習の段階でやめてしまったので、学校の先生にはなれない。 でも何かやりたい。 それで始めたのが人形教室です。 絵を描いていた時は先輩や同級生が出していた公募展に何度も落ちていたし、人形の公募はそんなになかったのでまず個展から始めました。 それしかできなかったから。 |
人形教室のその先 1 |
2011/10/14(Fri)
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私が人形を作るに至った経緯は個人サイト別館のおまけのプロフィールhttp://artcommunity.kula-ladoll.com/pro2.htmlに書いていますが、15年ぐらい前から少しずつ人形を教えていて「創作人形あとりゑKULA-LA」と名前をつけた今の形で教室を開いてから10年余りになります。
その頃は創作ビスクドールが出始めの頃で恋月姫さんの作品集をはじめ人形の作り方や雑誌など、人形関連の書籍が多く出版されたこともあり、人形ブームでした。 デパートで人形展がしきりに開催され、東京国立近代美術館で「創作人形展」、東京都現代美術館で「球体関節人形展」が開催されたり全国規模の創作人形公募展「ドールファンタジア」があり、人形教室はどこも満員御礼だったと記憶しています。 今まだ人形を作り続けている人はそのうち何人いるのでしょう。 少なくとも、うちに来ている生徒さんでその頃からの方はいません。 教室を閉めてしまい、作品さえ作っていない人形作家も何人もいます。 なぜたった数年で諦めてしまうの? 来なくなってしまった方に強制はできません。 でも「ずっと作り続けたい」って言っていたじゃないの…と、いつも寂しい思いをしています。 では私はなぜ作り続けているんだろう。 それは「好きだから」が一番の理由だと思う。 何度もやめようと思ったし、実際しばらくやめていたこともありましたが、いつのまにか舞い戻っているのは私が人形に関わることが私にとって必要なのだと思います。 特別大きな野望を抱いてこの世界に入ったわけではありませんが、発表し続けていると次の課題が見えてきてまた頑張ろうと思って、そうするとまた展示の機会が与えられて…の繰り返しだと思います。 今は先が見えない時代。 1体30万もするような人形が飛ぶように売れていた時代は終わり「人形で食べて生きたい」と思う人が居なくなってしまったからかもしれませんが、本当に好きなことや自分に必要なものは残るはず。 「昔はよかった」なんて郷愁にひたってちゃいけない。この先のことを考えようよ…。 人形を教えたり作りながら考えていることを時々、これから書いていこうかと思っています。 |
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